無縁仏と永代供養の違い
無縁仏というのは親族などで墓守をしてくれる人が誰もおらず、管理費等も払われない為、寺院と檀家の話し合いで、そのお墓の撤去や無縁仏を合同で供養する合祀に切り替えるなどの手続きを踏んで供養する仏様のことで、永代供養とは、そのような事態(先々このままでは無縁仏になってしまうかもしれない)を想定してあらかじめ永代に渡って供養をしてもらえるようお寺さんに費用を払ってお願いすることです。
ですから、無縁仏というのは、親族や親戚が何も手を打たなかった為に、墓守が誰もいなくなってしまった状態でお寺さんがやむ負えず供養してくださることになり、お寺さんにはその分負担をかけてしまうのです。
できれば、そうならないように、そのような状況が想定される場合にはあらかじめ永代供養を選択して費用を支払うのが遺族のつとめであると言えます。
永代供養は、きちんと永代供養を選択して寺院や霊園に費用を支払って託しているので、これもきちんとした供養のひとつなのです。
無縁仏になってしまう人はどんな人
誰も好きで無縁仏になるのではなく、人生を過ごして来る中で、いろいろな事があり、家族と呼べる人が減っていき、最終的に供養してくれる人、墓を建てて墓守をしてくれる人がいなくなってしまったという人がほとんどです。
その為そういうことがないように昔から子孫繁栄が祈願されて来ました。
子孫が多ければそのような事態にならないからです。
また、年老いた老親の面倒も子孫が多ければ助け合って面倒を見ることができます。
そう言った意味で現代では、少子化で子孫が少ない為、老親の面倒を見ることも墓守をしたり法事等の供養をすることも大変になってきています。
少子化で墓守をしていた一人っ子の子供が結婚もせずに年老いて亡くなってしまうと、もうその両親の代までは供養してきたお墓が誰も供養してくれる人のいない無縁仏化してしまいます。
また逆に最初から、親や親戚のいない人が施設等で育ち、社会人となって一人立ちしたけれど、やはり全く身寄りの無いまま年老いて亡くなると無縁仏になってしまいます。昔戦争等へ行って帰ってきたら身内がもう誰も生きていなかった等の不遇の人もいたようです。
家族関係の変化で独居老人に
その他の理由で無縁仏になる人もいます。昔に比べて3世代2世代同居をしたりする家族も減ってきており、都市部では、大部分の家庭が核家族です。
つまり、1世代しか同じ屋根の下で暮らしていないのです。
住宅事情や仕事の都合もあり、生活していく上で仕方のないことなのですが、これが家族関係を希薄にし、また離婚件数等も増えていることから、家族と呼べる人数が減っている事情があります。
例えば代々長男一家が守ってきた墓を、長男夫婦の離婚によって、例えば子供のいない夫婦であれば、長男の父母または祖父母の代からの墓守をする人が長男だけになってしまいます。
そして長男が年老いて亡くなると、血のつながりはあっても、もう何代も前から全くつきあいのない祖父母の兄弟の子孫等、関係が薄すぎて墓守を頼めないという現実もあったりします。
長男の他に兄弟姉妹がいれば良いですが、長男が一人っ子であった場合、本当に墓守をしてくれそうな立場の人がいないという事態になってしまいます。
現在、家族はいるけれど、長年にわたっての墓守の承継は難しいという人は、永代供養を選ぶのも、ひとつの重要な決断ではないでしょうか。
無縁仏になれば、関係のない人の手も煩わせることになります。人道的な立場からお寺さんは、無縁仏を供養してくださるのですが、先祖代々続いたせっかくのお墓をどうしていくかは、生きている時に生きている人間の務めとしてしっかりと考えて決断しておきたいですよね。
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