仏教の家の多い日本人のグリーフワーク

日本の仏教の家では、身近な家族が亡くなると、仏壇に毎日お線香を焚いたり、お供えのお花を綺麗に飾ったり、遺族が故人の成仏のために写経したり、お経を覚えて唱えたり、さまざまな習慣が根付いています。
高齢者や年配の方は比較的このような習慣が身についているため、故人を送り出した後も、故人のためのお供えを欠かさず、お経をまめに唱えて、せっせと供養に励みます。
それも、幼い頃からそういう親の姿を見て育ったため、自然にするべきことが頭に浮かんで実行できるのですが、生まれた時から核家族で育った現代の若者には、故人を見送ったあと、何をすれば良いのかわからない人も多いものです。
特に実家に先祖代々を祀っている仏壇があり、法事の度に親戚一同が集まるような田舎の旧家の長男宅で育ったような若者であればともかく、一般の都市部のマンション・アパートで核家族で育った若者には、なかなか故人を送り出した後に何をしたら良いかなど判りません。
仏教の儀式で、広く知られたわかりやすい例として、お盆になすやきゅうり等の野菜で作るお供えでしょうか。
あまり意味を知らなくても、子供の夏休みの学習雑誌等でも、「日本のお盆の風習」としてつたえられていたりします。
他にもお盆に見かける風景に、「送り火」「迎え火」というのがあります。
お盆になると、ご先祖様の例が我が家に帰って来るというので、お迎え火でお迎えしまたかえっていく時には送り火を焚いてその帰る道筋を照らすというものです。

親しい友人・知人にもあるグリーフワーク
日本には墓参りという習慣がありますが、広く一般に開かれた墓地へのお墓参りは誰も入場をチェックしたり、阻止したりすることはありません。
誰でも自由に訪れてお参りすることができるのです。
ここは、家族に限らず友人・知人の誰でも場所さえ知っていればお参りすることができます。

人は、故人の冥福のためにお祈りしますが、と同時に生きていたころ故人に世話になったお礼の言葉や、迷惑をかけてしまったことに対する懺悔など様々な思いが頭をよぎり、結局は、今生きている自分の頭や心の整理をする作業になっていたりします。それでも良いのです。
故人にとって、自分の大切な家族や友人・知人が自分の死で味わった深い悲しみから解放されて自分の生活を取り戻し、幸せに暮らせるようになってくれればうれしいのです。
友人・知人のグリーフワークとして一般に気づかないけれどもしていることに、親友を亡くした者同士が定期的に集まって飲食することです。
命日付近で毎年集まり、故人の思い出話をすることで、お互い、心の深い悲しみを外へ表し、時に涙して、癒されていくのです。家族が法事で食事を囲む習慣と似ています。
幼いこどもの深刻なグリーフケア
大人は集まって飲食を共にしたり、読経をしたり、することがたくさんあって、グリーフワークが豊富です。
でも、子供は違います。読経にしたって、お供えにしたって、何でも子供には難しすぎます。

たまに行くお墓参りでは、全然こころの傷が癒えるようなことまでには至りません。現代では、こうした子供たちのグリーフケアをどうして行くかが重大なテーマとなっています。
子供たちは、時に大きな悲しみにもかかわらず涙を流すこともできないことがあります。
ショックが大きすぎて、心が防御反応を起こしてしまい、悲しみを心の奥深くしまいこんで抑圧してしまうような現象が心で起きています。
これは、悲しみをあらわにして泣き叫ぶ大人と比べて、本人の心の健康状態に殊の外大きなダメージ与えています。
人間は、悲しみを表現することで、自分の心のダメージを知り、認識し、次第に整理し回復していくことができるのですが、子供の心のダメージは、悲しみに蓋をしてしまうところからその深刻さが始まっています。
時には大人が悲しみをあらわにして、「泣いてもいいんだよ。」ということを示しても良いかもしれませんし、故人との思い出に蓋をせず、遠慮せずに思い出をどんどん話してみても良いかもしれません。
ある意味、難しくても、仏教的な儀式のお供えをしたり、お水を替えたり等、子供にもできるお手伝いをさせてあげてもよいのかも知れませんね。






